熊本地震炊き出し支援報告 

熊本地震の際の 炊き出し支援報告をさせていただきます。 現在も「まかなくん」は熊本で活躍中です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 熊本地震炊き出し支援報告!   発  災(前震)4月14日午後9時26分 M6.5 最大震度7    (本震)4月16日午前1時25分 M7.3 最大震度7     高岡西部中学校第15回卒業学年同窓会有志災害募金を使った支援(西中支援) :食材支援の他 ヤマヤ 山本修一(同上卒業生 68歳)による炊き出しを支援   今回もフレッシュ佐武さん(高岡市)には多くの支援物資を頂いた。   行き先 熊本県益城町総合体育館  避難者1200名    16日13時出発⇒ 大阪南港からサンフラワー乗船⇒別府港⇒ 九州自動車道⇒ 益城町総合体育館着17日午後18時45分(約30時間の行程 内船上12時間)    4月29日帰宅 都合14日間 テント泊   持 参 品:1.5tトラック  足元暖房装置=2式  炊き出し器(灯油焚き 満水120ℓ 調理量100ℓ 最大500食)=2式 調理用具・水道ポンプ・灯油給湯ボイラー・流し台・シャワールーム・ホース・ペアパイプ・発泡食器類=各1式   食材:高岡から 米100㎏ 梅干し1樽 途中大分中津で豚汁用食材購入(車に積めるだけ)他 寝袋・テントなど   町の状況 益城町が最も被害がひどいのではと思われた。人々の話では本震で倒壊した家が多く、犠牲者が出た。一部の新耐震基準の住宅以外はほとんど破壊 家の形状を認めるもそれは2階で1階は壊滅状態 私の知るボランティア拠点の隣家では親子2名死亡。  避難所の益城町総合体育館は避難者1200名給水棟が傾き 土地は建物に比して30㎝下がっている 建屋前広場 アスファルトが大きく波打っている。 体育館の中は天井崩落 入れる状態ではないので通路・柔剣道場などに避難寝泊り。高齢化顕著 人々は毛布にくるまって休む 布団は持参のもの一部 着の身着のまま体育館に来た模様 家の片づけなど家から離れることはできない。身寄りが近くにいない。など多くの事情が避難所生活を送る結果となる。半数は屋外車中泊。後に登山家野口さんがテントをグランドに支給 食事は 食事は被災者を元気づける 自衛隊がおにぎりやご飯など支給、副食は炊き出しで 分業化 当初、焚き出し器まかないくん85型=2台 その後神奈川相日防災が同型=1台 最大1500食 活 動:西中支援が行った炊き出し 豚汁200ℓ 1200人として 166㏄/一人当たり 紙コップに8分目 配食時間は1時間10分 今回材料に不足が予想され 被災者の好意により畑へ里芋・人参・玉ねぎ・ネギなど堀りに行く 高校男子4名同行 川で洗って調理場で皮むき 具材が増量された。食材なくとも畑に行けば入手できることを確認。 なぜ早く炊き出しに行くのか:「発災後3日間は何も食べるものがなく辛かった。来るなら早く来てくれ」と阪神大震災時に平野中学校教頭さんから厳しく叱られた経験より。今回も避難所運営者からの声として「もしこのカマドがなかったら大変な事になっていた。」 ヤマヤの持ち込み品はシステム化されていて 自己完結型 水源は近くの水道井戸水 持参のまかないくん避難所設備システム:水道ポンプにより送り出され⇒灯油給湯ボイラー⇒流し台⇒炊き出し器まかないくん85型(灯油焚き 満水120ℓ)=2式、又はシャワールームに行く    衛生を第一としている 足元暖房装置=2式は南阿蘇での使用を打診するも使用されなかった。機材は避難所が閉じるまでおおよそ2ヵ月貸出予定  シャワールームは自衛隊のお風呂に入れない介護を必要とする人々に使用されている。脱衣場は被災者の若者数名が建てる。 入浴は発災後1週間目 15名/日が入浴 車いすで来て介護ボランティア数名が入浴介助 山本の意見:炊き出しは被災者自らが作ることが望ましい。避難所生活あっても日頃の生活のリズムを。提供する側と受ける側をできるだけ同じに。日頃家事を行うように調理やトイレ掃除など自ら行うことが理想。また生活不活発病対策としても有効。 避難所で注意すること:  ノロウイルス 能登半島地震の時 門前西小学校避難所で避難者200名中 20名が発病。空気伝染があるため避難所を閉じることがある。原因は牡蠣の差し入れとの見方。今回も差し入れが怖い。 同じものを食べても被災者は体力が落ちていて発病しやすい。 エコノミークラス症候群 プライバシー保全などで若い人に多いが、車での寝泊り。私の知るおばあちゃんはトイレの近くということで軽四ジープに息子さんと とにかく狭い 椅子に座った状態で寝る。後に当方のテントを貸す。静脈血栓は死亡の可能性大 中越地震の時は地震による直接的犠牲者を上回ったと聞く。 …

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