熊本地震の記録 その④

⑦私が作った看板、4月18日東調理場開設とある。 16日本震 高岡出発 17日夕刻到着レイアウト・設置完了し使用は18日の夕食炊き出し。先の掘った芋を足して豚汁を全員に配食した。炊き出しの挨拶は私が行う事としていたが、奈良の坊さん東山が大きな声で行った。「すっごくうまいでー」 誰が元気付けるか大事なことは迫力 坊さんは発災すぐに来て避難所の安全厄除けを祈った。    

熊本地震の記録 その③

⑤最初の炊き出し前の写真。  私は写真に写っているYMCA阿蘇の彼から多くのことを学んだ。特筆は衛生管理だ。彼は調理士である。包丁・まな板・カマド・テーブル・流し台などすべてをアルコール消毒する。ステンレス蓋なぞはこんなに美しくなるものかと大いに感心した。整理・整頓・清掃・清潔いつも聞きなれているが実行となるとむつかしいが多くの命をつなぐ役割から、ないがしろにできない。  ⑥機材の位置を示すが判りづらいところは持参の営業マンに聞いてほしい。左側から自衛隊の給水車に隣接しているので、そこに水道ポンプ 傍にバルーン型水槽1t ホースを延長して石油給湯ボイラーがある。ボイラーからは水と湯のペアホースが出てシャワールーム(右後方)と流し台(手前右)炊き出し器は、まかないくん85型灯油バーナー付きが2台1台につき最大100ℓ調理量 200㏄と少量配布なら500食まで対応。

熊本地震の記録 その②

③今回の写真は実災害のために写真は必要最小限度にとどめた。写真はボランティアが芋掘りをしているところ。 満載のトラックにさらに途中大分中津のスーパーで豚汁用食材を購入するも被災地熊本県益城町総合体育館に入って被災者1200名。とうてい足りないことが判ってトイレ掃除を終えた被災者と話すと自分の畑に食材があると聞いて学生4名を伴って町中の畑に行く。 ④芋の子 人参 玉ねぎ 葉物これだけの量が新たに加わった。学生が掘った芋を川で洗って被災者が刻んだ。今回学んだこと被災地には食材が畑に行けば有るということ。そういえば東日本大震災時、大槌町の被災地では救いを待つだけでなく自ら物資調達隊を出したということ。何もなければ知恵と行動だ。

熊本地震の記録 その①

熊本地震の記録   下記のものは私、山本が行ったものの記録です。災害は個々には違いがあって一様では有りません。現状合わせえて対処するようにしています。今回はレスキューストックヤードさんに行き先を訪ね、先行している災害ボランティアさんからの情報も聞きながら行動しました。 当初、私一人が行き、その後多くの方々の力によって炊き出ししました。 少しでも皆様方の防災に対しての参考になればと願っています。また皆様方のご意見もお聞きしたいと思います。なほ使用の機材は一部を除き現在も避難所で使用しています。 平成28年8月5日 ヤマヤ物産有限会社 社長 山本修一  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ①前震:平成28年2016年4月14日   午後9時26分M6.5最大震度7    本震:16日午前1時25分最大震度7   最初行くのをためらったのが本音 遠方地、体調不良などにより でも15日には積み込みにかかる。服装から見られるように当地では少々寒い状況  災害時の支援品やデモ商品などはあらかじカゴ車にまとめたり 調理器などは常日頃整備してある。  写真は寒さを考慮して足元暖房装置これで体育館一杯温められる。  ②弊社1.5tトラックいつもの、まかないくん避難所設備システム:奥に足元暖房装置2セット・まかないくん85型2台灯油バーナー付き・ライフラインが使えない状況を想定して水道ポンプ・石油給湯ボイラー・シャワールーム・流し台・発電機・調理機材・発泡食器・米100㎏・梅干し1樽を積み込む。 ルートは大阪南港よりフェリーに乗るために出発は16日昼とした。高岡市当社→大阪南港→フェリー→別府→熊本被災地

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